「こんなしょっぱい試合ですいません!」平田淳嗣に学ぶ、上手なマスクの脱ぎ方

記事がシェアされることで次の記事作成に繋がります。シェアにご協力ください。
  • 9
  •  
  •  
  •  
  •  
  •  

世界には数多くの覆面レスラーがいるのはご存知だろうか。古くはミル・マスカラスをはじめザ・デストロイヤー、最近ではレイ・ミステリオJRなど。特にメキシコのルチャ・リブレでは多くの覆面レスラーがいる。素顔を隠し覆面レスラーとして一生を過ごすものもいれば、途中で脱いで素顔を晒すことで路線変更を行う者もいる。今回はそのマスクを脱ぐタイミングについて平田淳嗣に学ぶことにする。



平田淳嗣とは

もちろんプロレスファンなら誰でも知っているし人物である。ただ、彼の場合は覆面のキャリアが長いのでどちらかというとマスクマンのリングネームが有名だろう。そう、先日引退をしたスーパー・ストロング・マシンの中の人である。

平田はジョージ高野、前田日明と並び三羽烏と称されていた。レスラーとしては平田名義よりマシン名義での方が知名度・キャリア共にあり、プロレス界を席巻したマシン軍団の主要メンバーとして活躍。その後も様々なユニット経て長年プロレス界に貢献している。がっしりした体型でウガッというようなダイビングヘッドバットと魔神風車固めを決め技にしていた。シングルプレイヤーとしての活躍はあまりなく、タッグやユニットにおいて輝いていた。それはマシン軍団やカルガリーハリケーンズ、烈風隊といったユニットで活躍が目立ったこともあるだろう。

ここしばらくは試合はせずに道場でコーチとして若手の指導を行い、2018年6月19日にマシンとして初登場した後楽園ホールにて引退した。

ストロングなマシン

メキシコへの武者修行を経て帰国。1984年8月24日後楽園ホールの長州vsボブ・バックランド戦の前にKYワカマツとともに謎のマスクマンとして登場。白のティーシャツの下アメフトのプロテクターのようなものを着込んでおり、紺のスキー帽のようなものをオーバーマスクとして被っての登場だった。一頻りリング上でアピールすると、ワカマツが解説席の猪木に向かって「オラァァ、猪木!俺が連れてきたこの男の挑戦を受けろ!」とワカマツがアピール。その結果、9月7日に猪木vsマシンが実現している。ちなみにマシンの初戦の入場時には赤いマントを羽織っていた。実は後楽園ホールに登場した時にキン肉マンのマスクを被っていたという話がある。権利の関係上、実現しなかった話だがこの時期はおそらく交渉中だったのだろう。

その後、楳図かずおの漫画「笑い仮面」をベースに叩かれても蹴られても笑っているイメージとしてマスクのデザインを平田自身で行った。

プロレス界に於けるマシンのギミックは重要なポジションを担い、増殖するマシン軍団として長年活用されている。

お前平田だろ

マシンを語る上で欠かせないのは藤波による「お前平田だろ?」事件である。
(関連記事:「お前、平田だろ!?」藤波辰爾に学ぶ、怒られない秘密の暴露の仕方

1985年4月に藤波とストロングマシン1号が対戦。その中で援護に入ったワカマツの投げた粉がストロングマシン1号に誤爆する。このことでマシン1号は軍団と仲間割れを起こしてしまう。そして5月に藤波の試合に乱入したワカマツを蹴散らし、藤波を救出するということがあった。そこで藤波はお礼を言うどころか、正体をバラしたのである。

この一連の事件があり、マシンはマシン軍団を離脱し、スーパー・ストロング・マシンに進化を遂げる。

カルガリーハリケーンズ

同年8月高野俊二(拳磁)、ヒロ斎藤とともにカルガリーハリケーンズを結成。翌年に主戦場を新日本から全日本へと移す。全日マットではハリケーンズのメンバーのほかキラー・カーンや阿修羅原とも共闘した。全日本マットでは長州と抗争を繰り広げジャパンプロレス勢vsカルガリーハリケーンズの構図が生まれることとなる。また、今でこそ普通だが当時は団体に所属せずフリーランスとして活動しているユニットでもあった。

リング上でのマスクの脱ぎ方

覆面レスラーがマスクを脱ぐと言うことはある意味そのキャラクターの神秘性の死を意味する。もちろん正体がバレている場合もあるが、そんな時でも公然の秘密となっていることが多い。そのため、試合中にマスクを剥がされそうになると頑なに抵抗するわけである。このことから小林邦昭が初代タイガーマスクのマスクを執拗に狙うこともわかるだろう。

1度目のチャレンジ

マシンの最初のマスク脱ぎチャレンジは1986年6月。リング上の長州と口論になり、興奮のあまり高野俊二とヒロ斎藤の制止を振り切り顔が半分露出したボロボロのマスクを脱ぎ捨てる。これには高野とヒロがすぐにタオルで顔を覆い隠すこととなる。

このタイミングでマスクを取ることはキャラクター変更のチャンスであったが、ノープランで実行してしまったっためこのチャンスを生かせず1度目のトライは失敗となる。

2度目のチャレンジ

2度目のマスク脱ぎチャレンジは1994年10月新日でのSGタッグ優勝戦である。マシンは全日から新日に戻り、NEWリーダーや烈風隊、レイジングスタッフなどで活躍していた。

まず94年にG1クライマックス3度目の制覇を成し遂げた蝶野がヒールターンをする。その背景にはトップレスラーとしての自分とバックヤードでの縦社会への切り替えに疑問を抱いたことにある。そこから選手会長も辞め、組織への反抗的な態度を取る。そこでマシンはタッグ結成をもちかけるも、蝶野はこれをことごとく拒否。結局、社命によりタッグを組むことになるたが、乗り気でない蝶野のタッチ拒否やマシンのマスク剥ぎなど傍若無人な振る舞いや度重なる誤爆に、試合のたびに仲間割れを繰り返す。それでも決勝戦へと進出し馳浩・武藤敬司組と対戦する。

もちろんここでも仲間割れを起こす。優勝戦にも関わらず蝶野のタッチ拒否や救援に入ろうとしないなど一向に改めない態度にマシンは激怒し、蝶野にラリアットを入れる。そして興奮のあまりに自らマスクを脱いで投げつけたのである。会場はヒラタコールで大盛り上がりするも、蝶野が試合放棄して退場する。その結果、一人となったマシンは孤軍奮闘するも最後は武藤のムーンサルトプレスを受けフォール負けを喫する。

そして伝説の「こんなしょっぱい試合ですいません!」と観客へ向かって謝罪したのである。

実はこの時、優勝を決めた馳・武藤組がマイクを使っていたのだが、観客は素顔の平田に注目していた。その空気を読み取った武藤が密かに平田に「何か話した方がいいですよ」とマイクアピールを促したのである。

マスクを脱いだ後が大切

平田にとって2回目のマスク脱ぎチャレンジは大成功だったと言える。負けたにも関わらずトップスターである馳・武藤組よりインパクトを残すことができたのである。こののち平田は平田淳嗣としてしばらく活動することとなる。それはプロレスラー平田淳嗣が活躍した期間とも言える。三沢がタイガーマスクを辞めた後ほど変化は見られなかったが、確実に選手としてのピークを素顔で迎えることができたのである。

もし、マスクを上手に脱ぐのであれば、かなり興奮した時に勢いで脱ぐことが大事である。そして、本当に重要なのは脱いだ後をどうするかを考えておく必要もあるだろう。平田は1度目はノープランのまま脱いでしまったため、ただ勢い余って脱いでしまった、感情に流されてしまっただけとなった。しかし、2度目のように「平田淳嗣」としてのキャリアを全うする覚悟があれば成功するのである。最後はさらけ出した後の覚悟、変化を起こす勇気が大切である。

Facebookページをフォローすれば最新記事もすぐ読めます!


記事がシェアされることで次の記事作成に繋がります。シェアにご協力ください。
  • 9
  •  
  •  
  •  
  •  
  •  

1 Trackback / Pingback

  1. 「お前、平田だろ!?」藤波辰爾に学ぶ、怒られない秘密の暴露の仕方 | メディア・プロレス

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*