宮本武蔵と佐々木小次郎だけじゃない。マサ斎藤に学ぶ、巌流島での過ごし方

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2018年7月14日、昭和のプロレス界の功労者であるマサ斎藤が急逝した。パーキンソン病を患い長らく闘病生活を送っていた。世界中で活躍したレスラーであり、レスラーとしてだけではなく、外国人レスラーの参謀としても日本のプロレス界に貢献。また、忖度しない解説も有名で、数々の実況泣かせの場面もあった。そんなマサ斎藤といえば数々の逸話を持つ人物だが、今回は彼が実践した特に娯楽もない小さい島の過ごし方を学ぶことにする。



マサ斎藤とは

訃報が飛んできたので、マサ斎藤のことはご存知の方も多いだろう。釈迦に説法かもしれないがご存知ない方のために紹介すると、マサ斎藤は日本のプロレスラーである。東京オリンピックの出場経験を持つ。黒光りの鍛え上げられたボディと筋肉で膨らんだお腹、ロングタイツにもヒゲ面といえばピンと来ることだろう。

東京プロレス崩壊後、単身渡米。この時にマサ・サイトーとして活動する。ちなみにマサは昌典からきている。トップヒールとして長らくアメリカで活動するが、帰国して新日本プロレスに合流する。日本ではサンダー杉山やヒロ松田、上田馬之助らと狼軍団を結成し、ヒールとしての地位を築き上げた。ちなみに後年に蝶野や天山による狼群団が出現するが、こちらは一匹オオカミとして活動していたレスラーが群を成したもので、「軍」と「群」の部分に違いがある。

またマサは参謀や相談役といったフィクサーとしてのポジションが多く、維新軍やTGPなどの立ち回りも見事であった。ソロプレイヤーとしてはまさかのスモールパッケージホールドでラリー・ズビスコからAWAのベルトをダッシュするなどもあった。
(関連記事:[固め技]スモールパッケージホールド|不意をつく逆転技ではない!緩急を使いこなした技巧派が魅せる

またアントニオ猪木の好敵手として戦い、1987年3月26日に猪木と行われたシングルマッチで試合前に海賊男が乱入、マサ斎藤へ手錠をかけ控室まで連れ行った事件も覚えている人も多いだろう。このよくわからない展開のあと、マサ斎藤と猪木の因縁が加速し巌流島の決闘へとつながるのである。

巌流島とは

巌流島についてでがほとんどの日本人は知っているだろう。山口県下関市にある小島で、関門海峡にある無人島である。正式名称は舟島であるが、その名前を知らしめたのが宮本武蔵と佐々木小次郎による決闘の舞台だったことであろう。熊本藩の細川家の筆頭家老・松井家の二天一流兵法師範の豊田景英が著した宮本武蔵の伝記「二天記」によると1776年にこの決闘は行わたとされている。

巌流島はプロレスと深い関わりを持つ。最初に巌流島という言葉を使ったのは1954年12年22月プロレスリング日本選手権”昭和の巌流島”である。これは相撲を背景とする力道山と柔道を背景とする木村政彦の戦いで、内容については諸説あるが結果として力道山が木村をノックアウトしている。ただ、この試合は巌流島ではなく興行として蔵前国技館で行われた。

そして次に使われたのがアントニオ猪木とマサ斎藤による巌流島決戦である。そして三回目が馳とタイガー・ジェット・シンによる巌流島決戦である。新日本プロレスによるこの巌流島決戦の二つの試合はどちらも時間無制限、ノールール、ノーピープルデスマッチで行われている。それは猪木と斎藤は因縁の完全決着のため、馳とシンの間では猪木との対戦を賭けたものであった。ノーピープルながらも記者やカメラが入るなどの配慮は見られた。

巌流島の過ごし方

巌流島は無人島であるため娯楽というものはない。名所として訪れる人も多く、公園として整備されているものの長時間過ごすのは難しいものである。1987年10月4日アントニオ猪木とマサ斎藤が完全決着をつけるべく巌流島を訪れているが、どのように過ごしたのか。

前日の晩にマサ斎藤と付き人として本来付き人じゃない船木、猪木とその付き人の大矢を従え下関入りをしている。当日に朝早く先にスタッフや付き人、記者らが巌流島へ。先に現地入りした船木だったがマサ斎藤も猪木も巌流島に渡ってきておらず、あまりにも興味がなく暇だったため山を散策。普段見かけないトカゲなどを捕まえて過ごしたという。

そして夕方に斎藤、猪木も巌流島へと渡り控室のテントの中へ。山本小鉄レフェリーによる試合開始が宣言されるも、先に斎藤がリングへ現れる。しかし、なかなか猪木は現れない。時間が過ぎていく中、船木は猪木・斎藤そして何故か記者や自分達、この3陣営で誰が先に動くのか・・というにらみ合いが起きていると感じていた。

痺れを切らした斎藤が叫んで猪木を呼び出し、猪木も登場して合間見える。序盤は黙々とグランドレスリングの展開が繰り出される。徐々にあたりが暗くなり松明に火が灯される。マサが猪木を場外に落として場外乱闘、松明の薪を使って猪木を殴打する。猪木も反撃として斎藤を火が燃え盛る松明にぶつけるのである。

リングに戻ってバックドロップなど大技が繰り出されるものの、最終的には猪木がスリーパーを仕掛け、レフェリーストップで2時間を超える激戦を猪木が制する。ぐったりしており担架で運ばれている斎藤とは対照的に、猪木は自分の足でしっかりと歩いて行った。その晩には猪木は地元の後援会に付き人の船木・大矢を連れて楽しそうにフグを食べていたという。

激戦を終えた二人はこのあと世代闘争の波に飲まれ、ナウリーダーとして共闘することとなるのである。

さて、関わった人間は全員が様々な巌流島の過ごし方を送った。猪木は全力で戦い、インパクトのある試合を行う事で新日本プロレスに注目を集めさせた。船木は全力で山に登りトカゲを捕まえた。マサ斎藤は因縁ある猪木と完全決着をつけるために戦い、力尽きて惜しくも敗れる過ごし方だった。結果として斎藤は負けはしたもののやりたい事を思い切り実行する、まさに「Go For Broke」(当たって砕けろ)を実践したのである。このことからも巌流島の過ごし方は何かに全力で打ち込む事が良いだろ。


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