安生洋二に学ぶ、200%の自信の持ち方

2014年6月に「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」が内閣府から発表されているのだが、「自分自身に満足している」という質問に「そう思う」と答えたのは日本では45.8%と調査7カ国でダントツの最下位となっていた。
このことからも近年若者の自信の無さが問題として取りざたされている。

かつてプロレス界には、あらゆる抗争において200%自信がある発言をしていたものがいた。その名はミスター200%こと安生洋二。
今回はいかにして200%の自信を持つことができるか、安生洋二の考察をしてみる。




安生洋二とは

国民の73%が知っているプロレス界を賑わせた男である安生洋二とはどのような人物であるかをおさらいしてみよう。

第一次UWFに入団、UWFが新日に戻ったあとヤングライオンとしてデビュー。その後第二次UWFに合流した。
第二次UWF解散後、UWFインターナショナルの旗揚げの主軸の一人となる。また帰国子女であり英語が堪能であることから、外国人との窓口となっていた。

Uインターの頃はゼブラ柄のロングタイツにレガースを装着し、新日本との交流戦後は他団体に上がりプロレスを行なっていた。
プロレス参戦時は黒の衣装になり、高山善廣、山本健一と共にゴールデン・カップスを結成、ハッスル参戦などエンタメ色のあるプロレスを繰り広げた。

高田が武藤に負けたあと、グランドクロス200(変形の足4の字固め)をフィニッシュホールドとしていた。

安生の絡んだ抗争

この安生だが何かとデカイことを言うことがあり、プロレス界を盛り上げていたということは事実ある。

<新日本とUインター>

どちらかというと舌戦を得意としており、Uインターの頃から宮戸とともに新日本に対してメディアを通しながら批判を繰り返していた。
Uインターでは安生・宮戸、新日本では長州とお互い罵り合うことから因縁が徐々に生まれて行くこととなる。
そしてその遺恨などもあり、10・9の新日本Uインターの全面対抗戦へと繋がって行く。(⇨別記事:もう20年以上前だけど10・9東京ドーム大会を振り返って見る)

この時、長州の「キレちゃあいないよ。俺をキレさせたら大したもんだよ」と発言。のちの「キレてないですよ」ブームは安生との一戦がなければ起きていなかった。

<プロレスとグレイシー>

「ヒクソンには200%勝てる」と豪語したのち、ロスのグレイシー道場へ道場破りにいくも返り討ちに合い顔面を大きく腫らす。
このことから高田vsヒクソンが熱望され、PRIDEでの高田vsヒクソン戦に繋がることとなる。そして日本マット界及び格闘技界でのグレイシーブームのきっかけにもなった。

<前田日明襲撃>

Uインターとリングスでの対抗戦の話が頓挫したことにより、「高田さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と発言する。これに対して前田が「家族の前で制裁」と襲撃を示唆したことからUインターによる訴訟沙汰に発展。これは前田の謝罪により一旦落ち着ここととなる。
しかし、遺恨は残っておりUFC-Jの会場にて記者との談話中の前田のあごを背後から殴り失神させる。前田日明が安生に失神させられたこの事件はプロレス界を震撼させることとなる。
プロレスでは古くからあるリング外の遺恨はリング内で片付けるということから、「文句があるならリング上で決着をつける」流れにするはずだったが前田の失神により繋がらず、前田は訴訟を起こす。このことで安生は罰金刑を受けることとなった。

200%の自信の持ち方

Uインター以外のプロレスに関わるようになり、頻繁に200%を使うなど安生は大口を叩くようになった。それは記者受けの良いただの大口ではなく、しっかりとトレーニングしてきたという自負があったからに他ならない。
バックボーンのない自信もあったかもしれない。ただ200%勝つ明言することは自分に対して退路を断つことであり、覚悟を決めることにも繋がる。

そもそも世の中の出来事は結果のなかなか見えないことばかりである。どちらかといえばうまくいかないことの方が多いだろう。しかし、そこで自信を失う必要なはいのである。
安生のように「200%勝つ」、そう言い続けるだけで心も強くなり、本当に自分に自信が持てるようになるわけだから。

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