もう20年以上前だけど10・9東京ドーム大会を振り返って見る

1995年10月9日。新日本プロレスとUWFインターナショナルがお互いのプライドがぶつかり合った東京ドーム大会。
プロレス界の老舗である新日本プロレスと、その新日本から袂をを分かち新しく生まれたUWF。
両者はなぜ全面対抗戦に至ったのか。それを紐解いていく。



UWFインターナショナルという団体

登場する団体の一つであるUWFインターナショナル(Uインター)。そもそもこの団体はどのような団体なのか?

当時、プロレス界に格闘技色の強いプロレスの流れがあった。それはロープワークをしない、打撃技、関節技中心でKOもしくはギブアップで勝敗が決定するというもの。
UWFとはその流れを組む団体で新日本プロレスを出た前田日明や高田延彦、藤原喜明、山崎一夫などが所属していた。

新生UWFは人気を博していたものの、経営陣の不正経理疑惑などがあり選手が全員解雇される。
その後、選手たちは前田日明率いるリングス、高田延彦率いるUWFインターナショナル、藤原喜明率いる藤原組の3派に別れて活動することとなる。

高田延彦をエースに据えて活動を始めたUインターは様々な打ち手で人気を獲得していく。

ルール面ではUWFを踏襲しておりロープワークはないものの、プロレス回帰が見られ「ダブルバウト」というプロレスで言うところのタッグマッチを始める。従来のプロレスのようにカットに入ることは禁止されているので、パートナーが交代する前に負けて一切出番がなく試合が終わることもあった。
合わせてポイント制が導入され、ダウンやエスケープなどで減点される減点方式も採用された。

選手面ではUWF分裂後でも高田、山崎、宮戸、安生、中野、田村、垣原など最大の選手を抱えていた。また若手でも桜庭和志や高山善廣なども出てくることとなる。
当初、外国人選手でのスターがいなかったもののゲーリー・オブライトやダン・スバーンなど実力のある選手も参戦していく。

また話題性のも欠くことがなく、「プロレスこそ最強」を謳い、元WBCボクシングヘビー級チャンピオンのトレーバー・バービックや空拳道の北尾光司などと異種格闘技も行う。
そして他団体のエース格選手に招待状を送った1億円トーナメントや安生洋二によるグレイシー道場襲撃などプロレス界に良くも悪くも話題を提供してきた。

この挑発的な団体であったこそ、新日本プロレスとの全面対抗戦に縺れることとなる。

電撃的に決まった対抗戦

当時、新日本プロレスの現場監督である長州力とUインターの宮戸・安生はよく舌戦を繰り返していた。両団体の関係がこじれる中、山崎一夫がUインターを退団し新日本のリングに上がる。
このことが原因で長州高田で電話会談が行われるも決裂。急遽対抗戦が行われることとなる。
団体の対抗戦ということもあり、急遽抑えた大箱が10月9日の東京ドーム。チケットは即完売となった。

奇しくも舌戦を繰り広げていたUインターの宮戸であったが、対抗戦に最後まで反対をして退団することとなる。

新日本とUインターの対抗戦

対抗戦は8試合。第1試合以外は全て一騎打ちとなった。
また、メインイベントの武藤VS高田の試合はIWGPの選手権試合となった。

対戦カードと結果

1. 30分1本勝負
○石沢常光、永田裕志(三角絞め 10:47)金原弘光、桜庭和志●
2. 15分1本勝負
○大谷晋二郎(羽根折り腕固め 7:18)山本喧一●
3. 30分1本勝負
●飯塚高史(腕ひしぎ逆十字固め 7:39)高山善廣○
4. 30分1本勝負
●獣神サンダー・ライガー(猛虎原爆固め 10:14)佐野友飛○
5. 45分1本勝負
○長州力(サソリ固め 4:45)安生洋二●
6. 45分1本勝負
●佐々木健介(膝十字固め 9:13)垣原賢人○
7. 45分1本勝負
○橋本真也(三角絞め 7:20)中野龍雄●
8. IWGPヘビー級選手権(60分1本勝負)
○武藤敬司(足4の字固め 16:16)高田延彦●
武藤が4度目の防衛に成功。

対戦カードからなんとなくの人選が見えてくる。新日本側からは若手の石澤、永田、大谷はレスリングの経験あるよね、飯塚はサンボだしグランドできるよねといった人選。ライガーvs佐野はIWGPジュニアの流れで。長州vs安生は舌戦による遺恨。健介vs垣原はなんだろう。橋本vs中野はなんか似ている。そしてエース対決で武藤vs高田。
ここに出ていない蝶野はヒールで対抗戦で戦うキャラではなかったし、馳はすでに議員になっていた。

名勝負、名言の出る全面戦争

結果は5勝3敗で新日本プロレスの勝利で幕を閉じる。

飯塚vs高山、健介vs垣原では下馬評を覆す高山と垣原の勝利となり、脚光を浴びるきっかけとなる。
特に垣原に負けた健介の「ポカした。」発言は一部で流行した。

長州vs安生では長州が圧倒したあとの会見の場で「俺をキレさせたら大したものですよ」と発言があり、これがのちに「キレてないですよ」に誤った形で広まることとなる。

そして一番の衝撃だったのが高田が4の字固めでギブアップをしたことであった。Uインターはプロレス回帰を少ししたものの、プロレスを代表する4の字固めで終わるとは誰も予想していなかったことだろう。
そして4の字固めだけでなく、ドラゴンスクリューといった小技も脚光を得ることとなった。おそらく藤波以上に効果的に繰り出したのではなかろうか。

ストロングスタイルの新日本とプロレスが最強のUWF、どちらもプロレスだからこそ試合として成立した。また、全面対抗戦ということもあり、独特の緊張感もあった。

UWFインターナショナルは刺激が必要な団体であり、強い刺激が必要だった。この対抗戦はある意味劇薬であった。
刺激に慣れて麻痺してくるとより強い刺激を求めるようになる。Uインターはまさにその刺激の繰り返しだったのではなかろうか。

新日本とUインターはこの時期にぶつかる必要があったのかもしれない。しかし、この後のUインターを考えると刺激が強すぎたようだ。

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