オリジナルの固有名を持つプロレス技が多数ある昨今、スタンダードな名前の技を圧倒的な破壊力とともに復権させた外国人レスラーがいた。
その名もゲーリー・オブライト。そして、その技はジャーマン・スープレックス。
今回はジャーマン・スープレックスとともにゲーリー・オブライトのことを考察する。
ゲーリー・オブライトとは
ゲーリー・オブライトはUWFインターナショナル(Uインター)で名を馳せた外国人選手。アメリカ出身でレスリングでもメダルが有力視されるほどの実力だった。
家庭の事情でオリンピックを断念するも当時アメリカに存在していたメジャー団体WCWに入団する。
来日は意外なことに新日本プロレスが最初である。その後Uインターで大ブレイクを果たす。
長髪に太めの体型、頰に大きな傷跡がありヒゲを蓄えている。赤いアマレスのウェアの印象が強い。レガースは着用しておらずキックなどを多用していたUインターに参戦しながらもキックを使うことがなかった。
ジャーマン・スープレックスをはじめ、フルネルソン・スープレックスやフロント・スープレックスなど強烈な投げ技を持っていた。そのため 、バックに回るだけで観客が期待して場内が湧くという数少ないレスラーである。
ジャーマン・スープレックスが殺人級に
ジャーマン・スープレックスのは相手の腰あたりに背後から抱きかかえ、反りながら背後に投げる技。投げ終わりにブリッジを維持することでジャーマン・スープレックス・ホールドとなる。この技の元祖は国民の7割が知っているだろうカール・ゴッチ。
日本ではアントニオ猪木や藤波辰爾、ジャンボ鶴田などが使用していた。その後ジャーマン・スープレックスを使う選手が増えたことや自分のフィニッシュホールドを持つようになったことから、試合中盤〜後半でダメージを与える技になってしまった。
また、フルネルソン・スープレックス、ドラゴンスープレックス、タイガースープレックスなど、より頭部を強打しダメージを与える投げ技が出てきたのも痛め技になった背景がある。
ジャーマン・スープレックスの復権
そんなジャーマン・スープレックスがゲーリー・オブライトによって脚光を浴びる。
当時Uインターの試合はUWFルールと呼ばれるものが採用されていた。これはシングルバウトでは持ち点15があり、ダウンで−3、ロープエスケープで−1、被スープレックスで−1の減点がされていた。
そしてUインターの選手は比較的軽量の選手も多くいたことで、投げ技を得意とするゲーリー・オブライトとマッチしていた。
実際オブライトはグラウンドの展開でバックを取り、引っこ抜くような感じでジャーマン・スープレックスやフルネルソン・スープレックスを仕掛けることができた。しかもクラッチを外すことなく連発もしていた。
そしてオブライトのジャーマン自体が普通と違っていた。引き込むように反りながら背後に投げ、叩きつけるまでクラッチを切らないというものだった。
そのため後頭部を高速で叩きつけられるのである。そしてUインターでスープレックスによるKO劇が繰り広げられた。
オブライトよ、永遠に
オブライトは主戦場をUインターから全日本プロレスに替える。全日本では四天王を相手に戦い、ここでもバックを取るだけで盛り上がるという殺人スープレックス旋風を起こした。
またユニットとしての活動もあり、スティーブ・ウィリアムスやラクロスと共にトライアングル・オブ・パワー(TOP)を結成した。
その後オブライトは2000年に心臓発作を起こし急逝。享年36歳という若さだった。
ジャーマン・スープレックスは一時的に確かにオブライトが存命中は確かに復権した。オブライトのように圧倒的な破壊力を元に古い技を復権させるレスラーの出現を待ちたい。
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