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2001年1・4東京ドーム 伝説の技「ドラゴンストップ」を振り返る

ドラゴンといえば藤波辰爾。その藤波の持つ技の多くにはドラゴンと付いたものが多数ある。ドラゴンスープレックスにドラゴンスクリュー・・・。
後世に残るプロレス技であるが、おそらく誰も真似することのできな伝説の技があった。

それは「ドラゴンストップ」。

今回はその伝説の技であるドラゴンストップに付いて考察してみる。




発端はあるレスラーの処遇から始まった

その主役となるレスラーは橋本真也。小川直也のプロレス転向から因縁があり、負けが続いた橋本真也に対して新日本プロレスは「負けたら即引退」という条件をつけてカードを組む。
2000年4・7東京ドーム大会。結果、橋本は小川に負けることとなり、辞表を提出し引退をした。その夏、ファンによる千羽鶴ならぬ万羽鶴による復帰活動により藤波が橋本を説得、新日本プロレスに復帰。10・9東京ドーム大会の第一試合にて藤波と復帰戦を行う。

復帰した橋本は他団体の選手との絡みに積極的になり、新日本プロレス内に別働隊となる組織「新日本プロレスZERO-ONE」を立ち上げる。橋本はノアとの接触を図り、全日本との交流を進めていた新日本と対立。その結果、橋本は11月に解雇される。

遺恨試合

2001年の1・4の東京ドーム大会。ここに長州力vs橋本真也のカードが組まれた。11月に解雇されたばかりの橋本をなぜ試合に組まれたのか。これは新日本プロレスの台所事情があったと言われる。当時の新日本プロレスは組織が大きくなったこともあり、ドーム級の大会を年に複数回成功させる必要があった。1・4のドーム大会を成功させる意味でも集客の目玉が必要であり、藤波長州は橋本を呼ぶことを決め、呼んだ責任として長州が自ら戦うこととなった。

この対戦カードにつけられた名前は「遺恨凄惨」。ゲスト解説に藤波と山崎一夫である。この遺恨マッチは清算する気配はなくまさに遺恨をぶつけ合う凄惨な試合となった。内容は橋本のミドルキックとチョップに対して、長州はパンチとリキラリアットで反撃する。組んで仕掛けた技は長州のバックドロップと橋本のDDTのみ。ダウンしてもフォールすることなくお互いが殴り合う形となった。

打撃を中心の普通と違う展開に会場は興奮する中、解説の山崎が「藤波さん、つぶし合いになっちゃいますよ!」というが、藤波はすぐに止めずしばらく様子を見てからリングサイドに詰め寄る。

ドラゴンストップ。そしてあの名言が生まれる

エプロンサイドに上がった藤波。藤波がリングに入り腕を×にして試合を止める。両陣営がリングに上がり長州橋本が接触しないようにガード。
騒然とした会場で藤波がマイクを持つ。

「ワグァワグァワ、グァグワガグアグァ!」
(訳:我々は殺し合いをしているんじゃない!)

マイクの反響がひどく何を言っているのかわからなかった。ただ、藤波の何か一生懸命な感じは会場中に伝わった。のちにこの試合を止めた技は「ドラゴンストップ」と呼ばれることになる。

試合はほぼ打撃であったがプロレスの範疇を超えてはいなかった。橋本は腕や胸を狙うミドルキック中心だったし、リキラリアットも受けていた。長州はプロレスとして組み立てる感はあったが、打撃中心の展開に合わせた形で試合が経過していったのである。一つの目玉として用意されたのがプロレスではなく単なる殴り合いになってしまったのである。

そしてドラゴンストップが起きたことで遺恨が継続することとなる。その遺恨はのちのZERO-ONE旗揚げの長州乱入によるコラタコ事件を引き起こすこととなるのである。
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この日藤波が大舞台で炸裂させたこの伝説の技「ドラゴンストップ」。藤波はいくつかドラゴンと付いた持ち技を持っており、中でもドラゴンスクリューを使うプロレスラーは武藤敬司や棚橋弘至など多数いる中、このドラゴンストップを引き継ぐものはまだ現れていない。見よう見まねであれば誰でもできるかもしれないが、本当の意味で使うのであれば殺し合いのような緊張感が必要である。最近のプロレスはどこの団体も凄くなっているが、その凄さや真剣味とは違う、ひりついた緊張感がある試合が無いとドラゴンストップは出てこないだろう。

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